『カネの弁当箱』


中学、高校と私は母の作る弁当に苦しめられていた。
おかずの味は旨い、味は旨いが必ずと言っていいほどが垂れている。
その垂れた汁は、私のノートを攻撃し、教科書を攻撃する。
そして、辞書を攻撃されたときなど、この茶色いシミの付いた辞書と6年近く付き合っていくのかと思い、暗たんたる気持ちにさせられた。
母も新聞紙で二重に包んでみたり、ビニール風呂敷に包んでみたり、様々な努力はしていたようだが、そもそも根本が間違っていた気がする。
カネの弁当箱では汁は漏れるに決まっている。なぜ、タッパの弁当箱にしてくれなかったのだろう。
なぜにカネの弁当箱にこだわり続けたのか、今思うとはなはだ疑問である。
きっと「カネの弁当箱は、蓋でお茶が飲めて便利だ」ぐらい思っていたに違いないが。
(そういえば、他の男子がどうやってお茶を飲んでいたのか、記憶に無い...)

そして問題は汁だけではない。母の作る弁当は色合いが悪いんである。
なんかおかずが全体的に黄土色に配色されている。
いっつも黄土色。たとえば黄土色のそれは、肉ジャガであったり、魚の煮付けであったり。
(だから、そういうおかずは汁が出るって)
別に私はウインナーをタコにしてくれとか、リンゴはウサギでないといやだとか言っているわけではない。
ただただ、黄土色一色では、ランチの楽しさが無いではないか、弁当箱開けたときのワクワク感が無いではないかと言っているのである。

ある日、私はあまりの毎日の黄土色攻撃に対し、憤り堪りかね抗議した。
「お母さん、なんでお母さんの作る弁当はいっつも黄土色なんだよ」
「あら、そうかしら」
「そうだよ!彩りってのをちょっとは考えてよ」
「彩りってどういう事?」
「ほら、黄色い卵焼きがあったり、赤いウインナーがあったりさ」
「あ〜、わかったわかった、色ね、色」

翌日の昼、鞄から弁当箱を出すと、なにやらカタカタと音がする。
それは明らかに金属同士がぶつかり合う音だ。
私は慎重に弁当箱を包んでいるハンカチをほどき、新聞紙を外した。
少なくとも今日は汁攻撃には遭っていないようである。
しかしカネの弁当箱の上には一本のスプーンが.....。 これか....。
金属がぶつかり合う音の原因はカネの弁当箱とスプーンだったのか、なるほどなるほど.....などと感心している場合ではない。
問題は、いつもは箸が入っている場所に、なぜに今日にかぎってスプーンが入っているのか...だ。
入れ間違ったのか....いや、お父さんの漆塗りの箸と妹のキャラクター入りプラスチック箸が一本ずつ入っているならいざしらず、物は鉄で出来たスプーンである。そうそう間違えるとは思えない。
「???」
そして私はカネの蓋の上からスプーンを横によけ、恐る恐る中を覗き、すぐさま蓋を閉めた。
一瞬、目がハレーションをおこしたかと思った。
まるで黄金の金貨が詰まった宝箱を開けたときのように、私の顔は照らし出されていなかっただろうか。
私はあたりを見回した。まだ、誰にも気付かれていないようだ。
しかし、このまま蓋をしていては、弁当を食うことはできない。
健康な男子学生として、昼飯を抜くなどということは不可能だ。
私は意を決して弁当の蓋を開けることにした。
もう、私は開き直っていた。Let's open!ってな勢いである。

私は蓋に手をかけ、ひっくりがえし、横に置いた。教室のざわめきが一瞬止まった気がした。
カネの弁当箱の中には私の顔のみならず、教室中を真っ赤に照らし出すほどの、真っ赤に染まった米があった。

「カッ、カネの弁当箱に....チキンライス....。それも、四角い隅まで一面チキンライスだけ....。」