『父と月の輪熊』


うちの父は子供の頃からやんちゃだったらしく、いくつもの逸話を持っています。

たとえば父の母(つまり私にとっておばあちゃんですね)が病気になり「魚が食べたいと」言ったとき「ちょっと待ってろ」と言ったまま近くの川に出かけていき、帰ってきたときには両手に魚を一匹ずつ、そして口にも一匹くわえて帰ってきたという話や、自分で竹を切ってスキーを作り雪山を滑り降りてきた話などです。

しかし、その中でも強烈なのは「月の輪熊を飼っていた」という話です。いくら京都の山奥の話とはいえ、「月の輪熊を飼う小学生」などなかなか聞かない話でしょう。

私もあまり詳しく聞いたことはなかったのですが、彼女がうちの実家に初めて遊びに来ることになったとき「お父さんと何を話していいかわからん」というので「月の輪熊を飼っていたらしいからその話を振ってみてはどうか」と私はアドバイスしたわけです。彼女もそのネタには非常に興味を持ち「それはぜひ聞いてみたい」ということに相成りました。

うちの実家に行っての一家団欒の夕食、鍋も一段落、少しお酒も入ったころ、彼女は父に「月の輪熊を飼っていたって本当ですか?」と話を振りました。

父は「そりゃ、ほんまや。」と言い初めてその時の話を詳しく話しだしました。

「小学校の頃の事やな。猟師が親熊を仕留めてな、残された子熊をうちに持って来たんや。それでわしが飼うことになった。

最初は小さくて可愛いかったんやが、だんだん大きくなってきてな、結局檻を作って入れることになった。他の人間が近づくとガー、ガーってな檻を爪で引っ掻いて威嚇するんや。でもなワシが行くとほんとに可愛いもんやった。

でも、とうとう大きくなりすぎてな、結局動物園に寄付することになったんや。」

「それでお父さんは動物園に会いに行ったんですか?」と彼女。

「いや、戦争で逃げては危ないっちゅうことでな、殺されてしもうたらしいわ....」

彼女が一家団欒を盛り上げようと振った話は意外な結末をむかえ、一家団欒にドヨ〜ンとした重い空気をもたらしました。