『両手が使えるという事』


私はもともと左利きだったんですが、子供の頃「箸」と「字」は右手に直されました。ということで基本的には「箸」と「字」は右手、その他は全て左手という現在の形に至ります。

しかし、子供とはいえ、そんなに簡単に左利きが右利きになるということはありません。

そこには涙無しでは語れない星一徹と飛宇馬のような厳しい特訓があったのです。

しかし、本当はこのような無理はいけません。言語中枢の左脳と右手は繋がっているため、ドモリがでます。今ではずいぶん直りましたが、いまだに呑んで呂律が廻らなくなるのはこのせいだと思っています。いいかげんなことを言ってしまうのも多分後遺症でしょう。

話がそれましたが、最初の頃、箸は親が見ていると右手で持ち、見ていないと左手で持つという生活をしていました。これが右手に変わったのは小学校の修学旅行からです。

左手で食べていると隣の人と肘がぶつかるためしょうがなく右手で食べていると一週間で矯正できました。

書くことに関していうと、字は右手で書くという直されたままの状態にきっちりなっています。しかし、これが結構大変で字は右、絵は左という意識を私の手は非常にシビアに判別してしまうんです。どういうことかというと、たとえばアンダーライン。右手で字を書いていて、下に線を引くときに一度左手に持ち替えないと書けないんです。

文頭に○なんかあるとまず左手で○書いて、右手に持ち替えて文を書き出すって感じです。

我ながら非常に面倒です。短文であればそのまま左手で文を書くことはありますが、右手で○を書くのは苦痛です。

あと右利きの方は解らないと思いますが、世の中はすべて右利き用になっているため、左利きは不便な事だらけです。

たとえば自動改札。左手で切符を入れようとすると身体をねじらないと入れられません。トランプも下側に扇開きしないとマークが見えなくなります。ハサミはそのままでは切り口が見えないため、左から覗き込みながら切ることになります。一度左利き用のハサミを使ってみましたが、右手用を使うのに慣れてしまってうまく使えませんでした。

友人から「両手使えるといろいろ便利なことがあるだろう」と聞かれましたが、これということが思い浮かびません。「両手で絵を描くとか....」と聞かれ、「いやいや亜土ちゃんじゃあるまいし、両手一度には描けんよ」と答えました。

「でも、何か便利なことあるだろう」と食い下がる友人。

その時、私は一つだけ便利なことに気がつきました。「ほら、ラーメン食べるときにさ...右手で箸持って食べるだろ、そんで左手でさ、レンゲ持ってスープ呑めるんだよね」と自慢げに私が言うと、友人は冷たく言い放ちました。

「それは、だれでもするよ.....」

両手が使える便利さってなんでしょう?